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世界が面白くないのは誰の所為?

小学生の頃までは和室に家族で川の字で寝てたんだけど、天井の木目の柄がオバケに見えるとか見えないとかが気になって寝付けない夜があった。目を閉じても、実家の前を通る車の音を「今どんな車種が通っているのか」予想し始めると段々とその行為に夢中になってしまって、これもまた眠れなくなる。寝る時だけじゃなくて例えば家のトイレで放尿するときには、便座の裏に書いてあるウォシュレットの取り扱いの注意の文面とかを昔は毎回音読しながら用を足していた。少年時代は世界に溢れる些細な風景や情報の一つ一つに興味関心があった。

天井の木目のイメージ

今はどうだろうか。僕の賃貸の天井がどんな柄だったかを聞かれても答えられる自信はないし、トイレに行ってもLIXILの取扱注意の文面なんていちいち気にかけることなんて絶対にない。25年生きると世界に慣れてしまって、世界に興味を持てなくなってしまっていることが哀しい。例えば今ブログを書いているドトールから見える年季の入ったエイブルの看板でも、汚れの形を分析してみたらきっと面白いと感じれるはずなのに、Youtubeで違法にアップされた有吉の壁を見る方が優先した興味関心の方向になっている。それでいてYoutubeを一通り見終わると最近は面白いことが無いなと文句を垂れる。いつからか僕は、資本主義のサイクルの中で提供されたコンテンツにしか興味関心が持てなくなっていて、世界そのものへの興味を失ってしまた。そしてそんな境遇を自分の所為ではなく、(興味関心を示そうともしない)世界の所為にしている。本当は世界には面白いものがたくさん溢れているはずなのに。

もう一度「世界そのものに興味関心があった時」の僕を取り戻したい。ワクワクが無いのは世界が悪いのではなくて僕自身の世界の捉え方が悪いのだ。世界はこんなに広いのだから当然面白いことに溢れていて、もっと自ら歩み寄って、昔のように興味関心を持っていこうと思う。

今後はトイレに行く度に「取扱注意の文面」を熟読することに決めた。

投稿者

teramaro4005@gmail.com
江戸川区に住むメーカー営業職に勤める25歳男です。捻くれてます。

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