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曖昧さを受け入れる(ドラマ『カルテット』感想)

アマゾンプライムで、見たかった坂本裕二脚本のドラマ『カルテット』を配信していたので、週末に一気見してみた。大人の世界には嘘や隠し事が蔓延していて「嘘を受け入れること、嘘を認め合うこと」が大人の人間関係で、社会で生きていくということであるとを再認識させられた。

僕は自分で言うのも何だが、嘘を言うことがあまり得意でない人間である。中学時代から相手に合わせて態度を変える人間を見ると寒気がした。例えば姉が家族で見せる顔とは全く違う顔を、同じ中学や塾で見せているのを見ると違和感を感じた。姉は相手や環境によって自分の人間性までもを変幻自在に変えられる「生きるのが上手い人間」で、そんな世渡り上手を隣で見ると気持ち悪いと感じてしまった。別に姉だけで無く、仲のいい友達が僕の前で見せる顔と可愛い女の子の前で見せる顔が違うのも違和感だったし、自分自身ですらも思い返してみれば人によって態度だけで無く性格までも変わってしまう節があると思った時に、強い自己嫌悪を感じた。本当の自分は何なんだろう?親の前で見せる顔は少なくとも違うし(思春期真っ盛りで親には素直になれない)、仲の良い友達に見せる顔だって少し面白いやつを演じている節があるし違う。可愛い女の子の前なんてもってのほかだ。僕自身も常に嘘をついて生きているのではないだろうか。

そんなことを考えながら大学生になり、心理学の講義で、こういう人によって態度(仮面)を変える人間社会の概念ををペルソナとかと呼ぶと知った。人間関係とは様々な仮面を用意した上で発生し、人のよって仮面を付け替え、表面的な付き合いをしていくものであると、100年以上前の心理学者が既に言っているのだ。けれども僕は、少なくとも僕自身の素顔ぐらいは知っておきたいと思ったし、色んな仮面を持ちつつも、なるべく差異がない(嘘がない)仮面を用意したいと思い、素直さを信条に生きたいと思っていた。

そんな拗らせたモラトニアムを経験した僕だけど、社会人になって営業職についていたらすっかりバリエーション豊かな仮面を持ってしまっている。地元の友達に見せる顔、上司に見せる顔、お客さんに見せる顔、全てが同じだったら売上なんて伸ばすことはできない。社会で生きていく上では、素直さという僕の掲げた信条が邪魔になることが多々あるようだ。

話を戻してカルテットで印象深かったシーンがある。

巻さん、そのドレス、本当に気に入ってます?
ちょっとどうかなぁって思ってません?

でもこの子が、わざわざ持って来てくれたからって思ってません?
ほら、真紀さんも嘘つき

みんな嘘つきでしょ
この世で一番の内緒話って
正義は大抵 負けるってことでしょ
夢は大抵 叶わない
努力は大抵報われないし
愛は大抵 消えるってことでしょ
そんな耳障りのいいこと口にしてる人って
現実から目そむけてるだけじゃないですか
だって 夫婦に恋愛感情なんてあるわけないでしょ

そこ 白黒はっきりさせちゃだめですよ
したら裏返るもん オセロみたいに
大好き 大好き 大好き 大好き 大好き 大好き

殺したいって!

え 違います?

カルテットというドラマは主要人物が、みんな隠し事をしつつ軽井沢の別荘で音楽活動をしながら共同生活するという話で、互いが嘘をつきながら・隠し事をしながらの曖昧な関係性で、深い人間関係を築いていくというのが物語の本筋である。上記のシーンは主人公の松たか子が、夫婦にも恋愛感情があるという、ある意味理想的な発言をした際に、吉岡里帆演じる現実主義的なキャラクターに、夫婦に恋愛感情なんて無いと指摘をされるシーンである。そして、これは夫婦の恋愛観だけに収まらず「年下の女の子からのプレゼントを貰った時の反応」とか、「夢は叶う」「努力は報われる」とか、理想的なコミュニケーションだったり、世に言われる名言も全部嘘だとみんなが分かっていて、分からないふりを演じているだけだと吉岡里帆はきっぱり言い切るのである。上記のような嘘を本気で信じ込んでしまうと、裏切られた時に傷ついてしまうというのだ、「大好き・大好き・大嫌い・殺したい」と…。

僕が勤めている会社でも、社会のために価値のある事業を展開しているはずだが、結局は資本主義で売上を伸ばすことを行なっているだけなのは、働いて身に染みて感じる。大学時代にボランティアしているやつは、就活を有利に動かすためだけにボランティアをしていたし、人に優しくするのはその人の為でなく自分が良い人でありたいためなだけ。人間関係なんていうものは、いろんな理想を掲げていても、結局は物事をスマートに進めるための建前でしかない。そしてそれを、得意先担当者も就活の時の面接官もみんな分かった上で生きている。

友達の彼女の写真を飲み会で見せられた時って、大体そんな可愛くないのに、可愛いと言わないといけない。先輩の赤ちゃんの写真だって、生まれたての猿の顔が可愛いわけがない。女の子が紹介する可愛い女の子の写真なんて酷いもので、よくもまああんなに純粋な目で可愛いと言いながらブスを紹介することができるなあと不思議に思う。みんな嘘をついて生きている。平気で嘘がつける、素直じゃない「白黒付けない曖昧な関係性」の上で信頼関係や絆を築いていくことが大人の人間関係なのだ。そしてこれは自分自身にも言えることで、嘘をつく自分「=曖昧な自分」を認めていければもう少し生きやすくなれるのではないかと『カルテット』を見て思った今日この頃である。

投稿者

teramaro4005@gmail.com
江戸川区に住むメーカー営業職に勤める25歳男です。捻くれてます。

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