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シガー・ロスの浮遊感から考える音楽という表現手法の良さ
“Music would take over at the point at which words become powerless, with the one and only object of expressing that which nothing but music could express.”
『言葉で表現できなくなったとき、「音楽」がはじまる。』
ドビュッシーの格言だが、音楽という表現手法の持つ良さの一つに、言葉で表現できない情緒を音色として人の聴覚を通すことで表現ができるところが挙げられると感じる。最近ハマっているアイスランドのバンド「シガー・ロス」の良さも、何が良いのかって聞かれたら「小説や詩、絵画では表現できないような”浮遊感”を感じられるから良い」と僕は答える。文字通り言葉で表現できない領域の良さなので言語化して説明するのは難しいけれど、僕なりに努力してこの良さを説明してみたいと思う。僕が音楽を好きな理由として「言葉では感じられない情緒を音色として感じられること」をここで一つ示しておきたい。
まずはシガー・ロスの一番の代表曲『Hoppipolla』を聴いて欲しい。
めちゃめちゃ酔っ払った時に窓を開けて全裸でベッドの上でこの曲を聴くと本当に宙に浮いているような気がする。イントロのどこか寂し気で耳心地の良いピアノ、少し女性的でエモーショナルなボーカル・ヨンシーの歌声、サビのヨンシーのファルセット、幻想的なストリングスの音色、その他諸々の楽器の旋律やバックコーラス、この曲の持つ全部が音の波となって僕に押し寄せ、その波が僕を宙に浮かせる。アイスランド語の歌詞は理解できないけれど、その世界観は十分に僕の骨の髄まで侵食してきて圧倒する。ライブ映像もアイスランドの幸せそうな人々がぞろぞろと会場に集まり、豊かな自然の中でこの曲を心地良さそうに聴いているという内容で、まるでユートピアを見ているようで素晴らしい。アイスランドに行きたくなる。
他にも2曲ほど魅力的な曲を下記に紹介する。
『Glósóli』という曲。この曲の良さはなんといっても終盤にかけての盛り上がりとその熱量。絶頂しそうになる。
『Svefn-g-englar』という曲。全体的にぼんやりとした膜で覆われているような音色がたまらなく、なんというかノスタルジーを感じられ、リラックス効果が抜群である。
正直やっぱり言語化してシガー・ロスの”浮遊感”を説明できなかったけれど、上記3曲を聴いてもらえれば僕の言いたい「言葉では表現できない”浮遊感”」をなんとなくでも分かってもらえたんじゃないかと思う。例えば小説や詩でどんな美しい言葉を紡いでもこの感覚は感じられないはずだと思う。絵画でも映画でも同じで、視覚的な情報が入ることで受け手の想像性が無くなり、ある意味でサイケデリックとも言えるようなこの”浮遊感”は感じられなくなる。音楽だからこそ、音だからこそ感じられる幻想だと考える。
この浮遊感はレディオヘッドなんかでもよく感じられるし、最近だと羊文学の『mother』という曲のサビ(浮遊する〜という歌詞の部分)でも感じられた。
音楽の良さは様々で、上記の浮遊感以外にも沢山あると思うが、考えてみると聴覚のみに頼った表現手法だからこそ映画・絵画・小説・その他諸々のコンテンツより受け手の想像力に頼る部分が多く、人の想像力により超次元的で幻想的な情緒を感じられるというところが一つ音楽の良さとして挙げられるのではないだろうか。今回はシガーロスの浮遊感を例に出してこの超次元的で幻想的な領域を説明してみたが、音楽のジャンルにより領域の幅の可能性は無限大であると思う。勿論JPOPランキングの耳心地のいいポップソングをエンタメとして消費するのでもいいが、せっかく音楽が好きなのであれば様々な国籍やジャンルの音楽を、何が良いのか・どんな言葉では表せない幻想を見せてくれるのか、自分の中で分析しながら音楽を楽しみたいと思う今日この頃である。