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音楽は記憶を冷凍保存してくれる #2
3/11に投稿した記事「音楽×過去の人生の記憶」について、別に需要なんか無いのは重々承知だけれど、他にもまとめられるものはないか普段探しながらSpotifyを聴いていて何個か見つけたのでパート2として紹介する。自分の人生を当時聴いていた音楽を通してメタ的に認知してみる行為は、頭の中だけで自分という人間を人生を振り返って客観視するよりも、より当時の感情の部分にフォーカスして振り返ることができてとても意味のある行為だと思う。そう言う意味では本シリーズは誰かに対して曲を勧めるというメッセージ的な目的は無く、あくまで僕自身の自己分析のために行っているマスターベーション投稿という位置付けで今後も続けていきたい(最終的には聴いていた時系列順にプレイリストとか作ってみたら面白いかもしれない)。また希望的ではあるが、本記事を読んでいただくことで付随して平成を生きてきたちょっとサブカル好きの社会人男子25歳の音楽経歴の1サンプルとして共感したり分析したりしていただければ、結果的にはちょっとは意味のある行為になるかもしれないので嬉しい。何はともあれ、今回も完全自己満で5曲、僕の中で冷凍保存している音楽を解凍し当時の環境や感情とともにピックアップしてみるので、お付き合いいただきたい。なお、今回は前回よりもうちょっと一曲一曲とその時の情景にフォーカスして文字に起こしてみることを意識する。
①The Killers『Mr. Brightside』と社会人1年目の朝
目覚ましのアラーム音に音楽を設定している人って少なからずいると思うんだけど、僕の社会人1年目のアラーム音はこの曲だった。アラーム音としてルーティン的に毎日聴いていたんだからこの曲には否応なく当時の僕の記憶が染み付いるんだけど、この感覚はアラーム音に過去音楽を設定していた人なら分かってもらえるんじゃないだろうか。この曲を設定していたのは、社会人一年目(さらに僕で言えば初めての地方での自立した一人暮らし)だったので、仕事は全然分からないし未来への不安だらけな日常で、すこしでも明るく目覚められる音楽を、と考えていてこの曲をセレクトしていた。曲はアメリカのバンドっぽくポップで聞きやすく、イントロのギターから始まる疾走感のある曲調や、歌い出しのノイジー?なボーカルの音が、不安な環境下にいる僕に寄り添いながらも励ましているかのように感じられていたのだと思う。歌詞は「彼女を他の男に取られて辛いけれど、前向きに頑張ろう」という、タイトルのとおりの「ミスター・ブライトサイド(明るい側面)」みたいな内容なんだけど、そこに「社会人として打ちひしがれる毎日でもむしゃらに頑張っていかないと」という自分の環境と意志を重ねていたような気がする。社会人1年目最初の3ヶ月、名古屋の工場地帯での汚い社員寮での朝の一場面を思い出す。工場の喧騒の中、この曲のイントロで目覚め、一度廊下に出て、社員共用の流し場で顔を洗うという荒んだモーニングルーティンが懐かしい。
②AKB48(柏木由紀)『夜風の仕業』と高校の部活帰り
僕ももちろん世代だったので、高校時代は1思春期男子としてAKB48にはハマっていた。僕は高校から都内の中高一貫の私立の男子校に受験して編入したのだけど、埼玉の田舎育ちのそれも卑屈な男子として、都内の中学から私立に通っている男子グループ達にはなかなか馴染むことができなかった。また片道2時間近くかけて通学していたので朝早くそして夜遅い毎日は、精神的にも肉体的のも若いなりにも疲弊した毎日だった。そんな時に支えてくれたのがAKB48というアイドルの存在で、まさに「会いに行けるアイドル」というキャッチコピー通り親近感がありながらも可愛くて、アイドル活動を本気で頑張る同世代の彼女達を本気で好きだった。恋をしていたとも言える。高校1年時にはバドミントン部に入っていて(ここでも馴染めず1年で辞めることになるんだけど)、その部活帰りすっかり夜も遅くなって、実家の最寄り駅から実家までの帰路にこの曲を聴いていた。ゆきりんこと柏木由紀の包容力のある歌声と、なんというか温かみがありながらも切ないメロディーとその歌詞が僕を支えてくれた。恥ずかしい話だけど本気でゆきりんの彼氏の気分になって「僕もゆきりんに会いたいよ」と思いながら月を見て帰宅していた気がする。高校時代は、僕の捻くれた人格を形成する上での大きな意味を持つ時期で、何もかも嫌になって地元の仲の良い友達の家に一晩だけ家出したりとか色んな感慨深い記憶がある。そしてそこにはAKB48というビッグコンテンツの存在も必ず付いて回るので、何が良かったのかいつかちゃんと整理して秋元康のアイドル論については記事にしたい。遠距離ポスターという曲が好きで、チームBが好きで、宮崎美穂という女の子が推しだった。
③The Jackson 5『I Want You Back 』とテニス部帰りに楽しみにしていたTOKYO MXの5時に夢中
今回はなるべく中高時代の少し古い記憶をピックアップしたいと思っていて、中学時代の記憶を遡ってこの曲をピックアップした。僕が中学時代一番楽しみにしていたテレビ番組がTOKYO MXの「5時に夢中」だったんだけどそのオープニング曲がジャクソン5の「I Want You Back」だった(埼玉南部の僕の実家はギリギリTOKYO MXが映った)。当時は逸見太郎が番組MCで、マツコデラックスがまだ売れ始めの頃で、いまではそこからMCも2回変わっているし、マツコもキー曲に引っ張りだこだし時代を感じる。「5時に夢中」という番組の(中学生の童貞の田舎坊主の視点での)良さは大きく2つあるんだけど、それは埼玉の片田舎の中学生が5時という健全な時間に「大人の世界のニュース」と「東京での暮らし」を感じることができることだった。本番組では、番組前半に夕刊紙の注目記事をランキング形式に紹介しコメンテーターが辛口に議論するんだけど、扱うテーマが夕刊紙らしく芸能人の不倫だの下世話な話題で、出演者が比較的エロいというか、当時からしたら大人の目線でコメントしているという内容が刺激的だった。また東京ローカル局らしく、東京にフォーカスしたニュースや企画も番組内にちょこちょこ出てきて、田舎坊主は東京への憧れをこの番組を見ることで募らせていた。クリスマス時期の「5時に夢中」のイルミネーションの映像なんかは今でも脳裏に浮かぶ。中学のテニス部帰りに両親は仕事でまだ帰ってなくて、姉も高校から帰ってなくて、一人でTVを独占してこの番組を見るのが、いけないことをしているドキドキ感と東京でのシティライフへの憧れを感じられて至福の時間だった。話を戻してジャクソン5「I Want You Back」についてなんだけど、この曲のキャッチーさはそんな至福な時間へと僕を誘うスイッチかのように脳に染み込まれ、いつまでもこの曲を聴くと機械的に高揚してしまう。
④Base ball bear 『BOY MEETS GIRL』と練馬駅の乗り換え
この曲は僕の高校時代のアンセムの一つ。ボーカルの小出裕介が何かのインタビューで「青春は自分のコンプレックス」みたいなことを話していたけれど、小出裕介のアンチ青春な卑屈な曲に僕はどうしてもに共感してしまっていた。この曲の歌詞なんてまさにどストレートなアンチ青春ソングで、「ボーイズ&ガールズの幸せそうな喧騒に飲まれてしまい泣き出しそうになってしまう」んだからまさに僕の高校生活そのものだ。僕みたいな達観した童貞でも(大学まで引きずると全てがどうでも良くなってしまい達観する)、高校時代まではしっかりと色恋沙汰が羨ましくて恋愛を経験できない自分が情け無く苦しかった。そこでオタクはアイドルとかに本気で恋をしてしまったりするんだけど。練馬駅で大江戸線に乗り換え都心方面に向かう時、地下鉄内には馬鹿そうな高校生カップルがウヨウヨいて、幸せそうな喧騒を見せつけてきた風景は、今でも苦しい記憶として蘇る。そんなときにこの曲は唯一僕のこの感情を理解してくれていて、エッジの効いたギターの音色が僕を自暴自棄的な感覚で明るくしてくれたし、ボーカル小出の甘いけれど必死なサビの歌声とかが僕の心情を代弁してくれていた。また聴きやすくて分かりやすく高揚感のある曲展開も、ザ童貞アンセムとして僕を奮い立たせ支えてくれた。人生で練馬駅で西武線から大江戸線に乗り換えることは今後きっと数回しかないんだろうけど、その乗り換えをする度にこの曲を思い出すんだろう。
⑤ART-SCHOOL『MISS WORLD』と中学時代養った自虐性
中学の時、バンプ・ラッドから始まって所謂ロキノン系のバンドをTSUTAYAで漁りまくった結果、この曲に辿り着いた。今聞いてみるとすごく音も悪いし、ボーカル木下理樹は歌下手だし、歌詞がダークでありながらも無駄に文学的(調べてみると村上春樹の引用っぽい)だし、それでいて疾走感溢れる熱量のこもった曲調はすごい気持ち悪いんだけど、その気持ち悪さが絶妙に気持ち良くてやっぱり好きだなと思ってしまった。中学時代って自分の性欲だったり自己顕示欲だったり、色んな汚い自己の欲求を客観的に理解し出す時期だったと僕は思っていて、そんな時、こういう自分の感情と同じような気持ち悪い曲が多いART SCHOOLは気持ち悪くても最高にかっこよくなれるという矛盾を用いて、僕を肯定してくれるようで嬉しかったのかもしれない。ある時ふと自分の厨二病具合の気持ち悪さに気付いてしまった少年は死にたくなるほど恥ずかしくなるんだけど、ART SCHOOLを聴くことで気持ち悪い故のかっこよさというか、潔い人間臭さの素晴らしさみたいなものに憧れることができ、自信を持つことができたんだと思う。僕という人間を自己分析する際に、他人を卑下したりする「卑屈さ」はもちろん、自分自身をも卑下する「自虐性」が大きくあって、そういう自虐性を養う上で中学時代聴いたART-SCHOOLは大きな意味を持っているかもしれない。
以上、今回も僕を支えてくれた、または教育してくれた楽曲を5曲挙げてみたんだけど、後半は中高時代の僕の気持ち悪さが顕著に出てしまう曲×記憶のピックアップになってしまった。ただ、僕という人間が気持ち悪い中高時代を生きてきたのはどうしようもない事実であるし、結果的に気持ち悪い25歳に成長したことを否定するのではなく、誇らしいものだと思って生きていきたい。無理にでもそう思いたい。それが僕の個性であり、僕が僕として社会を生きる意味でもあり、何かを発信する意味だと思うからである。星野源だって壮絶な過去があるからこそ、感動するコンテンツを創作し、また役者としても成功し、さらには新垣結衣という日本一の女性と結婚ができたんだからまだまだ僕も諦めてはいけない。次回は、アニソンやアイドルソング、V系バンドとかより尖った楽曲に特化した曲セレクトで本シリーズをやってみても面白いかもしれない。いつやるか分からないけど。