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酒と煙草はやめない理由
意識高い系のYoutuberの投稿動画の中で、人生の無駄なものランキングの中に「酒」があって衝撃を受けた。僕は酒も煙草も好きなのだが、どれだけ健康によくないと言われてもやめる気がない。Youtuberの言い分として、酒は健康に良くないだけでなく仕事の生産性が落ちるとのことなのだが、健康面はまだしも、僕たちはそこまで生産性に縛られて生きていく必要があるのだろかとファーストインプレッションでかなりその動画に対して疑問を感じた。仕事終わりに飲みに行って翌日の仕事に身が入らないというのはあるあるだと想うし、社会人として仕事の生産性が落ちることは理想的でないことも十分に理解している。健康面だってどれだけ肺が傷つき、統計的に見て煙草を吸うことが健康的にリスクがあり、自分の寿命が下がる”可能性を上げる”ことに繋がることも理解している。ただ物事は一つの側面だけでは考えていけない。僕が思う僕が酒と煙草を辞める必要が無いと考える理由を整理してみる。
「酒を飲む」「煙草を吸う」ことは、生産性を下げるのか?
一社会人として生きる上で世に価値を生み出すことは理想だ。その価値が高ければ高いほど良い。その為に僕らは一生懸命働き、仕事をしている(他の理由も多々あるが…)。酒を飲み二日酔いで仕事に身が入らない、仕事中定期的に煙草休憩にいくことで結果的な仕事量が減っているなど、嗜好品を嗜むことは一見生産性が落ちているが、果たして本当にそうだろうか。酒(煙草)を飲む(吸う)ために仕事を早く効率的に終わらすというインセンティブ的な役割を果たすこともあるだろうし、酒(煙草)を飲む(吸う)ことで、一度脳を休ませ物事を俯瞰視し新たなアイデアが浮かんだりプロジェクトの欠点を見つけるなど、メリットも沢山あると思う。飲ミニケーションやたばコミュニケーションも同じで、嗜好品を通してできた関係性が仕事の生産性を上げることも多くあるだろう。そうなると「やめること」と「継続すること」のメリットを天秤にかけることになるが、少なくとも僕は後者の方がメリットが多いと判断する。これは経験則からの一例だが、コロナ後に飲みに行く機会が減ったことで仕事の生産性が下がった気がする。酒を飲むということは言わば仕事から明確に隔絶された時間を過ごすことで、隔絶された時間があることで仕事とプライベートにメリハリができ、より仕事に身が入っていたなんじゃないだろうか。事実コロナ後の在宅勤務では勤務時間の範囲が曖昧になり夜にメールを確認したり資料を作ったりしていて、逆に昼にYoutubeを見たりしている。ちゃんと職場に行っていたコロナ前の「夜は先輩と飲みに行き業務から開放され、その分昼に集中的に仕事に取り組む日々」は理想的な業務形態だったんんじゃないだろうか。僕は少なくともコロナ前より後の方が全体的な業務量が減ったことからみても、業務効率が落ちていると考える。
煙草は人生の句読点
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これは千鳥の大吾がABEMAで言っていた。上述しているように、ある種の休憩が物事を俯瞰視し結果的に物事にいい方向に働くことは往々にある。人間というのは定期的に立ち止まって自分自身を見直す時間が必要だと思う。一度自らを振り返って状況を整理したり、自分自身の心情を整理することで物事を正しい方向に修正することは有意義な行為だと思う。日記なんてその為にあると思っているし、職場の研修でもよく「メタ認知」といって自分を客観視しようという講義があった(脳科学的にメタ認知は効果があるらしい。良くわからないけど。)。煙草や酒を飲んで頭を空っぽにして一度客観的に状況と心情を整理してみたら新たな風景が見えたりするはずだ。
生きる上で生産性に縛られすぎるのは嫌、遊び心があってもいいんじゃない。
生産性に縛られた意識高い系の人々への反論なんだけど、人生ってもっとふざけていて遊び心があってもいいんじゃない?生産性が少ない遊び心がある人生も幸せになれるんじゃない?勿論これは個人の価値観によるところだけど、僕は遊び心のある人間がかっこいいと思ってしまう。時には梶井基次郎の『檸檬』のように店先にレモンを一個置いてそのまま外にでてもいいんじゃないか。芸人とかもそうだけど、なんであんなに遊び心のある人間はかっこいいんだろう。簡単に言えば、遊び心の無い「意識高い系の硬い人間」は隙がなく近寄り難くて、「遊び心のある余裕のある人間」は何か近寄りたくなる温かみがあるんだろう。僕は人を惹きつける人間になりたい。
果たして酒・煙草は、寿命を下げる?
健康面についてもちゃんと考えたい。西村ひろゆきがYoutube liveで言っていた言葉のそのままの受け売りだけど、煙草をやめた親戚が結果的にストレスが原因で死んだという話がある。酒・煙草が身体的に悪影響があるのは勿論正しいけど、メンタル的には好影響がある人もいるのは事実だ。煙草を吸い続けて肺がんで70歳で死ぬ人が、煙草を辞めてストレスで40歳で自殺したんだんだったら「煙草をやめたこと」がその人の寿命を下げたのかもしれない。僕は短くても楽しい人生を歩めたらそれでいいと思っている人間なので、酒と煙草を楽しみながら豊かな人生を歩みたい。早死にするのは嫌だけど、早くに肺がんで死んでも納得できると少なくとも今は考えている。
酒・煙草論争について思うこと
ここまではあくまでも僕個人が酒と煙草を辞めない理由を話してきた。じゃあ僕以外の他者が酒と煙草を嗜むことに対してどう思うか、結論として嗜みたい人は嗜めばいいし、嗜みたくない人は嗜まなければいい。成人の酒と煙草は日本では合法だし、他人に(煙草の臭いや酒トラブル等で)迷惑をかけなければ自由に楽しんでいい。僕が嫌なのは、嗜む人(嗜まない人)を必要以上に強要したり、卑下したりすることだ。煙草を執拗に辞めろと言ってくる人は多くいるんだけど、僕は先述した明確な理由から継続をしているし、他人に迷惑を掛けていない(はず)だし、日本で嗜むことは自由じゃないか。マッシュで煙草吸っているやつはキモいとかいう指摘をしてくるのはやめてほしい。髪型と喫煙ってなんの関係もないじゃないか。Youtubeの意識高い系動画が気に障ったのは飲酒を「無駄」と表現したり、飲酒している人を卑下するような表現があったからだ。生産性に縛られた人生を歩みたい人は、動画の通りに勿論やめてもいいと思うけど、みんなが生産性に縛られたいわけでもないし対象を一般化して訴えるのはやめてほしい。そもそもじゃあ対象が「生産性に縛られたい人」の動画をお前が視るなって話だけど、Youtubeのリコメンドに出てくるからしょうがない。
Youtubeにヨボヨボのおばあちゃんが煙草を吸っている動画があって、そのコメント欄が非常に印象的だった。「ここまで吸い続けたんだから死ぬまで吸わせてあげてほしい」みたいなコメントなんだけど、そのコメント欄のように非喫煙者も喫煙者も、飲酒をする人もしない人もお互いを受け入れて、尊重して暖かく見守れたら素敵だと思う。
今後、喫煙や飲酒をやめろって言われたら、まずは「心配してくれてありがとう」って言えるようにしたい。