天野こずえの漫画『ARIA』は人生のバイブル
アニメARIAの新作映画が上映中とのことで、僕の人生のバイブルとも言えるARIAについて本ブログでもその魅力を布教したい。ARIAとは天野こずえの全12巻の漫画と、それを原作とした佐藤順一監督の全3期(1期:1クール、2期:2クール、3期:1クール)のアニメ作品を指すんだけど、僕が大学時代というか人生で最も魅力的だと思ったコンテンツと言っても過言ではない。ちなみに天野こずえは、最近だと『あまんちゅ』がアニメ化されているし、佐藤順一監督だと『たまゆら』がかなり有名なので、そっちで知っている人も多いかもしれない。作品の雰囲気も上記2作品はARIAと共通する点も多いので、2作品が好きな人は是非ともおすすめ。漫画・アニメどちらがいいの?って話はどちらも100点満点で良いので回答しかねる。強いて言うのであれば、アニメは話数が多いので忙しい社会人には漫画がサクッと読めておすすめだし、アニメは声優•OSTも作品と完璧にマッチしているので、よりARIAの世界に没入したい人にはアニメがおすすめ。(それぞれのメディアにはそれぞれの良さが数えきれないほどあるが、ここでは割愛)
日常系作品の良さ
ARIAのプロットのカテゴライズとしては日常系(slice of life)にあたる。ストーリー展開として少年漫画のような大きな目的がありそれに向かって主人公が困難を乗り越えるわけではなく、あくまで登場人物の日常に起こる些細な出来事を切り取ったものだ。大きなカタルシスも感じられず何が面白いのって思う人もいるかもしれないが、物語の起伏が無いからこそ、その世界感やキャラクターについてより細部まで深堀りされ、その世界に没入できるのが日常系作品の良いところだ(そう意味では生きづらい世の中からの現実逃避として日常作品を楽しんでいる人も多いと思う)。人気作品で言えば、『けいおん』や『よつばと』なんかも、そんな平坦なストーリーが良くて好きな人は多いんじゃないかと思う。
ARIAも例に漏れず、一本線なプロットなのだが、その世界感が素晴らしい。近未来のテラフォーミングされた火星でのイタリアのベネチアを模した「ネオベネチア」という街が舞台なのだが、テラフォーミングされた街が舞台だからこそ近代化がそこまで進んでおらず、SFチックと言うよりは逆に旧時代の自然的な風景や、人間的な営みを美しく描いている。そこは天野こずえが、「効率化された近未来」と「自然的で人間的な営みを大事にする世界」とあえて2つのギャップを狙って作っているのだと思う。
ARIAのメッセージについて振り返る
日常作品としてよりその世界や登場人物を深堀りできるのであれば、そこで描かれる世界や登場人物のキャラクター等からARIAが何を訴えるのかという話になる。ストーリーの概要としては「半人前のゴンドラ漕ぎが友人と共に日々の生活の中で、一人前のゴンドラ漕ぎへと成長していく」というものなのだが、ここではあえてストーリーには触れずに作中に散りばめられたそのメッセージを天野こずえの作画やキャラクターの発言と共に振り返っていきたい。
作中メッセージ① 世界の美しさや人間的な営みの楽しさを再認識しよう
上記の通り、旧時代的で自然的な世界とそこで繰り広げられる人間的な営みを美しく描くことで、人間が持っている「世界の美しさを感受できることの素晴らしさ」や「人間的な営みの楽しさ」を再認識させてくれるのがARIAの1つ目のメッセージだと思う。このメッセージは日常系作品の中でも『のんのんびより』や『ふらいんぐうぃっち』に近いかもしれない。新海誠が背景描写の細部まで細かく描写している点も「世界の美しさを再認識してほしい」というメッセージだったはずだ(例えば『君の名は』を見た時、新宿駅ってこんなに美しかったんだって思い返すということ)。この1つ目のメッセージをARIA世界の美しい作画から振り返る。
上記は天野こずえの画集からピックアップしたものだが、僕の言いたいことは絵を見ればもう分かってもらえたんじゃないかと思う。ネオベネチアの美しい風景を見ることで、世界ってこんなに美しかったんだと再認識できるのだ。これはネオベネチアだからじゃなくて僕らが生きているこの日本という国でも感じることができるはずである。大事なのは美しいと感じようとする姿勢で、僕が今本記事を描いているドトールからの風景だってとても美しいし、その一つ一つを感受しながら生きれば、世界はもっと鮮やかになると思う(忙しいとどうしても忘れてしまう感性だけど)。天野こずえでも深海誠でも美しい風景を描く人は作品中だけでなく、今を生きる視聴者達に作品外でも世界の美しさを再認識してもらうことを目的として、作品を作っていると僕は勝手に考えている。
では「人間的な営みの楽しさ」についてはどうなのか。作中にでてくる名言を3つピックアップしてみた。
なぜこんな不便な街に住んどるのかね?
だって地球にはこんな美味しいじゃがバター、もう売っていませんもん。
んー後そうですねぇ。ここ「不便」だから全部自分の手でやれるじゃないですか。それがなんだか嬉しいんです。
いつも慣れ親しんだ部屋なのに、何だかとっても摩訶不思議。
今日は素敵なものを、いっぱいいっぱい見つけちゃいました。もしかしたら当たり前すぎて 普段気が付かない素敵なものって、まだまだいっぱいあるのかもしれませんね
同じものでも時間帯によって、まったく違った顔を見せてくれたり 季節が変わることで、空気や色合いも移ろっていく。そしてなによりその時その場に居合わせる自分の気持ちひとつで、見えてくる世界が全く変わってしまう
例えばドラム缶洗濯•乾燥機を買って、洗濯〜物干しという行為を全自動で生活から省いてしまえば、より生活は効率的になり、自由な時間が増え趣味に時間を回せるかもしれない。だけど今日は天気がいいから洗濯をしようかなと日々の気候変動に気を使ってみたり、洗濯物を干す時にバルコニーから春の空気を感じてみたり、休日に家事をする時に東京で一人で生きていることに感傷に浸ってみたり、「手を煩わせて人間的な営みをしている」からこそ感じられる情緒は洗濯以外にも沢山あるのではないだろうか。価値観は人それぞれだけど、IOT等で生活がどんどん便利に効率的になっていく現代だからこそ、人間的な営みの楽しさを感じて生きていきたいと僕は思う。ARIAでは2300年の近未来にもかかわらず、郵便という概念が存在していたり、そういう人間的な営みが情緒的に描かれている。例えばストーリーの中で学校からの帰り道に、とある登場人物が「影しか踏まないで帰宅しようとする」というストーリーがあった。この描写をくだらない子供の遊びだと捉えるのではなく、単なる「徒歩での移動」という営みに、楽しさを見出していけるというのがARIAが教えてくれるメッセージなのだ。小さいころ横断歩道を白線しか踏まないで渡り切るとかいう遊びをよくやっていたけど、そんな単純な徒歩での移動でも楽しさを感じることことができた少年時代が懐かしい。
作中メッセージ② 自分の捉え方次第で世界をポジティブに楽しむことができる
主人公の水無灯里というキャラクターが感受性豊かな超ポジティブ人間として描かれているのがこの作品の特徴である。僕みたいな捻くれた人間はそんな簡単にポジティブになれないし、ネガティブで批判的に生きることこそ意味があるとまで最近は思っているぐらいなんだけど、そんな僕が読んでもARIAではそういった、言わば恥ずかしいポジティブな表現を恥ずかしいと感じさせないところが作品として完成されている。そこには作画が恥ずかしいと感じさせることが馬鹿らしいくらいに温かく描かれていたり、デフォルメ絵を多用しギャグチックしてみたり、登場人物の「恥ずかしいセリフ禁止!」というツッコミをお決まりのフレーズとして多用してみたり、要は天野こずえのテクニックの上で成り立っている。そのテクニックに見事にハマってしまう僕は、普段は捻くれながらもこの作品を読むことで少しでも水無灯里近づきたいと思うことができる。そんなARIAの「ポジティブに世界を楽しむ」という描写をここでも作中のフレーズから思い返してみる。
何でも楽しんでしまいなさいな。とっても素敵なことなのよ、日々を生きてるっていうことは。
がんばっている自分を素直に褒めてあげて。見るもの聞くもの触れるもの、この世界がくれるすべてのものを楽しむことができれば、この火星で数多輝く水先案内人の、一番星になることも夢じゃないわよ。
不思議なもんだよな。嬉しいことってーのはすぐ慣れてあたりまえになりがちなのに、嫌なことはたった一つだけ起こっただけでも、ものすごく重く感じてしまう。
たぶん、人は自分自身で嫌なことを何倍も重くしているんだ。
いいことも悪いこともあたりまえにしないで、どっちもしっかり受け止めていかなきゃな
きっと、本当に楽しいことって、比べるものじゃないのよね
あの頃の楽しさに囚われて、今の楽しさが見えなくなっちゃもったいないよね。あの頃は楽しかったんじゃなくて、あの頃も楽しかった…よね
でも大人になればそれまで見えなかった、素敵な世界に気づくことができる。いつもいつでもいつまでも。どこでもどんなことでもどこまでも。自分の心ひとつで自由自在の変幻自在で楽しめるのよ
どんなに豊かでも不幸な人はいるし、どんなに貧しくても幸せな人だっているわ。結局本人次第なのよね、幸せを決めるのって。灯里ちゃんが素敵だから、この世界がみーんな素敵なのよ
上記の通りARIAは名言が多すぎて困る。ここで引用した内容から何が言いたいかというと、人間というのは自分の捉え方次第で世界の色を変えられるということだ。楽しいと無理にでもに思えば本当は楽しくなくても楽しく感じられるし、逆に辛いと思えば本当は辛くなくても辛く感じてしまうのが、人間という単純な生物なのだということ。その上で、水無灯里やその先輩であるアリシアという、全ての物事を楽しむことができる天才達は、その才能により他人から好かれ、ネオベネチアを代表する優秀なゴンドラ漕ぎという社会的地位までも確立してしまう。普段ネガティブ•批判的にどうしても生きてしまう僕だけど、ポジティブに生きることは素晴らしく自分のみならず他者までもを惹きつけ、それは自分の捉え方次第でどうにでもなることをARIAは教えてくれる。
(おまけ)作中メッセージ③ 物事の決断に「遅い」ということは無い
自分で自分をおしまいにしない限り きっと本当に遅いことなんてないんです
何時でも何処でも何度でもチャレンジしたいと思った時がまっ白なスタートです
自己啓発本に載っているようなメッセージだが、これも僕の好きな作中セリフなのでおまけとして紹介したい。例えば何か新しいことを始めようと思ったとき、もうこんな歳だからという理由で諦める必要はない。その歳まで始めようと本気で思わなくて、その歳で本気で始めようと思ったのであれば、今が一番始めるのに適した時期だったという考え方だ。クリエイターを目指すにしろ、スポーツ選手を目指すにしろ、今始めたいと本気で思ったのであれば、いままでのどこかのタイミングで始めれば良かったのでなく、今が始めるべき時なのだ。臭いことを言っているのは分かっているのだけど、そんなありふれたメッセージもARIAの世界というフィルターを通すと臭いとは感じず、素直に腹の中に落ちてくる。
誰か新作映画を一緒に見に行って欲しい
以上、ARIAの魅力を主に作中に出てくる名言から自分の中での整理も含めて言語化してみた。上記以外にも幻想的な描写だったりホラー的な要素だったり、まだまだARIAの魅力は語りきれないのだけど、おおよそ僕の言いたいことは言えた気がする。なによりこの作品の良さをみなさんに知ってもらい、一緒に新作映画を見に行って欲しいと思って貴重な土曜日を使って本記事を描いてみた。一人で見に行けって話だけど、本当にいい物は人と共有したいじゃん。
最後にARIAに感化され大学の卒業旅行でベネチアに行った時、実際にゴンドラに乗って撮影した動画がGoogle photoに残っていたのでYoutubeにアップしてみた。この旅行は所謂、聖地巡礼だったのだけど、サンマルコ広場の「カフェフロリアン」で飲んだコーヒーや、ベネチアに響き渡る鐘の音は作中そのままで本当に感動した。あの時付き合ってくれたサークルの友人のみなさん本当にありがとう。